鍵をはずしてほしい

このところ、知人が遠方に引越ししたり、十年来の友人が妊娠したりで、極少な仲良しさん方とやむを得ず疎遠に。


気の置けない人との対話が減ったことで、自分の中に日々のいろんな思いが積み重なって、どんよりしているのがはっきり分かります。
たまっている感情を丁寧にはがして他人に分かるように言葉にするのは、わたしにとっては難しいことで、だからやっと人と会話する機会に恵まれても、伝えたいことを話すことが出来ずにぎしぎしした雰囲気になってしまって、ストレスがたまりがちです。おそらく相手にもそのイライラは伝わっていて、違和感を覚えているだろうなあと想像すると余計に自分の度量の狭さがイヤんなります。


これは非常に良くない傾向で、放置しておくと「アタシのことなんて誰も分かってくれない」とか「居場所がなくて辛い」とか、尾崎豊ですらケツをまくるようなことを三十路リーチャー独身OLがむせび泣きながら抜かす、という大変に不愉快な悲劇が起こりますので、ここはひとつ自浄作用を高めるために外側から美しいものを取り入れてなくてはなりません。


と思っていたら格好のものを見つけました。
須賀敦子
全く知らない人だったのですが、本日実家に帰った折、たまたまコタツの上にあるエッセイを手に取ったところ、見事に引き込まれましてね。
抑えた平易な表現で淡々とつづられる文章の合間に浮かび上がってくる彼女や彼女を取り巻く人たちの一挙一動や気持ちがとてもきれいで、息を詰めて読みました。
キラキラしたきれい、ではなくて、よく考え抜いて無駄を無くしたシンプルな物に触れたときの静かな感動と言うのでしょうか。線は単純ではあるけども実は重厚というか、絲山秋子の潔ぎよさに、少し深みと広がりと温度を持たせた感じと言いますか。陳腐なことしか書けなくて面映いですが。
多分うんこ墓場在住のわたしが同じことを経験しても、たおやかで上品な須賀敦子が抱く大げさでない悲哀や重みのある喜びなんかは絶対に得られないので、それだけに「ああ、良いなあこういうの」と憧れが募ります。
「このあっさりした感じ、川上弘美に被るなあ」と思いつつ巻末に載っていた他の本の紹介文を見ていたら、やはり川上弘美が解説しているものがありました。多分みっちょん(説明するまでもありませんが角田光代)も好きだと思いますこの手のは。


3月に読んだ本は「電気グルーヴの続・メロン牧場〜花嫁は死神〜上・下巻」だけだったので、4月5月はまともな本を読んで、知的ボブに恥じないおつむ改革を図ろうかと。脳内美人、キャホー!