トランスミッション

穴ぐらからこんばんは!一応ヒトです!


食欲を満たしたり老人の優しさに触れたりしたものの、相変わらず気分がローなので、これはひとつ文化的なことに逃避しなくてはいかんな、と「そのうち読むつもり」で部屋の片隅に積み上げていた本を見てみる。


まず目を引いたのが高田純次「適当経典」
日記にも書いてましたが、数ヶ月前に会社のKさん(ボインさん)に借りて数ページ読んだままで存在を忘れていました。でもね、ちゃんと内容は覚えてますよ。「正常位でチョメりましょう」でしょ。「おっぱいには希望が入っている」でしょ。ね、わたしって記憶力いいんですよ結構。


次に比較的上にあったのが「3秒でハッピーになる 名言セラピー」なる小ブック。これは年末、会社のお菓子仲間Kさん(ガタイの良いジョジョ好き男性)に「いつものお礼にと思って、まあすぐ読めるから」と目を逸らされながら渡されました。アラ?うちの会社、わたしにアレな本を貸すのが流行っているのかしら?
うちの会社のトレンドはともかく、この手の本にありがちな「余白が極めて多い」というスタイルで、何も考えずに読めそうなのですが、飛行石を握り締めて「バルス!」と叫びたい気持ちが胸いっぱいな今読むと、ちょっと物騒な気がするのでとりあえず今はそっと置いておきます。
Kさん、この本より榎本俊二「ムーたち」を貸してくれないかなあ。


存在を忘れたくても忘れられないのが渡辺淳一「あじさい日記」
年末年始に実家に帰省していた東京在住の姉(32歳・3児の母)が東京に戻るのを見送りに行った際、「あ、ごだちゃん、あたしこれ読んじゃったから」と押し付けてきたものです。
姉の言うことには滅多に逆らわないわたしですが、これはちょっとさすがに、と押し戻すと「『愛ルケ』とは違うからさあ、なんか奥さんの日記だしソフトだよ」となおも渡そうとする姉。普段下ネタを交わさない我々姉妹の間に『愛ルケ』という単語が出たことに驚き、「お姉ちゃん『愛ルケ』読んでたの?」と尋ねると「まあ職場に日経があったし・・・」と言葉を濁しつつ、「まあ読み終わったらブックオフで売れるからさ」と立ち去られる。
とにかく実家に放置して純朴な両親が目にしてはいけない、とわたしの部屋に持ち帰ったのですが、2008年に初めて読む本が「夫以外でも、誰かの腕の中で眠りに堕ちてみたいと思う。」なんて帯が巻いてある茶色っぽい装丁の一冊だなんてイヤったらイヤ。かといって一度もらった本を読まずにブックオフに持っていくのはもったいなく感じる貧乏性のわたし。
しかしこの装丁。「連れ込み宿」という言葉を連想してしまいます。あと「蜜壷」とか「花弁」あたりね。動詞なら「滲む」「潤む」「赤く染まった」「柔らかくしなる」「熟れきった」もアリですね。そういえばタイトルもどことなくフランス書院ぽい。わたしが中2男子ならこの表紙と帯だけで一週間くらいはお腹一杯です。うーん、さすが講談社。表紙からして力の入れようが違いますね。いやあ、御見それしました。


結局本日は、冬休み最後の日に京都が誇るオシャレ本屋「恵文社」にて一緒にいた知人に「えっそれ買うの!?」と驚かれながら購入したブロンソンズ(みうらじゅん田口トモロヲ)の「ブロンソンならこう言うね」をチョイス。
三分の一くらい読みました。これを出版した筑摩書房も相当ですが、そもそもスタジオヴォイスは何故これを連載していたのでしょうか。懐が広いというかセンスが良すぎです。村崎百郎「赤ちゃん泥棒」という意図を図りかねる連載をしていましたし、なんてラディカルな編集部。
サブカルチャーに憧れつつも、その本質を理解して「その他大勢」ではなく「サムワン」になりたかったティーン時代、スタジオヴォイスを無駄に読んでたんですけど、まともに読めたのはこの「ブロンソンならこう言うね」と小田島久恵と根本敬、先ほど述べた村崎百郎のコラムだけでした。特集の趣旨さえ、今に至っても理解できません。おそらく先天的にハイカルチャーというものを理解できないんだと思います。


ということで夜も更けてまいりましたので、就寝前には「大奥」3巻を読もうと思います。一日一マンガです。「大奥」、とても面白いのですが、そろそろ「鎖国」とか「春日局」とか日本史の教科書事項が出てきて難しそうだし、意味が分かるか心配です。
うーん、頭が悪いと文化に触れることさえかなわず、心も貧しくなるのかもしれませんね。万一子どもができたら、とにかく公文式に通わせようと思います。


それでは皆さん、ステキな夜を!チョメるのも良いですが、でもまだ水曜日だから軽めにしといたほうがベターだと思いますよ!やだアタシったらお節介!?